B046:ブナ科の系統地理——クリ属8種の進化と分布の謎
B046:ブナ科の系統地理——クリ属8種の進化と分布の謎
医スク学術体系 | ボタニカルサイエンス B046 | Castanea crenata 深掘りシリーズ④ Last updated: 2026-05-20
はじめに
ニホングリ(Castanea crenata)を「クリ」と呼ぶとき、私たちは8種からなるクリ属(Castanea Mill.)の一員を指している。クリ属はブナ科(Fagaceae)に属し、コナラ・ブナ・シイなど日本の森林を構成する巨木たちの「親戚」だ。
クリ属の8種は北半球に点在し、その分布は一見不連続で謎めいている——日本・朝鮮半島、中国、ヨーロッパ、北米東部という具合に、太平洋と大西洋を挟んで飛び地状に存在する。この分布パターンはどのように形成されたのか。大陸移動・気候変動・氷期、そして分子系統解析が解き明かす「クリ属8種の旅」を辿る。

1. ブナ科の系統的位置と特徴
ブナ目(Fagales)における位置
ブナ科はブナ目(Fagales)に属す。ブナ目はカバノキ科・クルミ科・ヤマモモ科なども含む大きな目で、白亜紀後期(約9,000万年前)に起源を持つ。
ブナ科内の属間関係は近年の分子系統解析で大きく書き換えられた。従来の形態分類では:
- 亜科Fagoideae(ブナ属)
- 亜科Quercoideae(コナラ属、シイ属、クリ属等)
に分けられていたが、分子データはより複雑な関係を示している(Manos et al., 2001; Denk et al., 2017)。
ブナ科の生態的特徴
ブナ科の植物は北半球温帯林の「骨格」を形成する:
| 属 | 種数 | 分布 | 代表種 |
|---|---|---|---|
| Quercus(コナラ属) | 約500 | 北半球全域 | コナラ、カシワ、スダジイ |
| Lithocarpus(マテバシイ属) | 約300 | アジア熱帯〜亜熱帯 | マテバシイ |
| Castanopsis(シイ属) | 約120 | アジア熱帯〜亜熱帯 | スダジイ、ツブラジイ |
| Fagus(ブナ属) | 約10 | 北半球温帯 | ブナ、ヨーロッパブナ |
| Castanea(クリ属) | 8 | 北半球温帯(飛び地分布) | ニホングリ、クリ |
| Chrysolepis | 2 | 北米西部 | — |
クリ属はその規模の小ささ(わずか8種)と不連続分布において、ブナ科内で特異な存在だ。

2. クリ属8種の系統と分布
8種の概要
| 種名 | 和名 | 分布 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| C. crenata | ニホングリ | 日本・朝鮮半島南部 | 大粒、耐病性低い |
| C. mollissima | シナグリ | 中国・朝鮮半島 | 中粒、耐病性高い |
| C. sativa | ヨーロッパグリ | 地中海沿岸〜コーカサス | 大粒、病害で壊滅的被害 |
| C. dentata | アメリカグリ | 北米東部 | 大木、胴枯れ病で事実上絶滅 |
| C. pumila | アメリカチンカピン | 北米東部〜南部 | 低木、小粒 |
| C. ozarkensis | オザークチンカピン | 北米中南部 | 中間型 |
| C. seguinii | セギン栗 | 中国南部 | 低木、小粒 |
| C. henryi | ヘンリー栗 | 中国中部〜南部 | 1粒果実 |
分子系統樹
分子系統解析(Fineschi et al., 2000; Lang et al., 2007)によると、クリ属は大きく3clade(系統群)に分かれる:
- 東アジアclade:C. crenata(ニホングリ)+ C. mollissima(シナグリ)+ C. seguinii + C. henryi
- ヨーロッパclade:C. sativa(ヨーロッパグリ)
- 北米clade:C. dentata + C. pumila + C. ozarkensis
ヨーロッパcladeと北米cladeが最も近縁であり、東アジアcladeが外群となる。これは地理的分布とは逆の関係で、大西洋を挟むヨーロッパと北米が北太平洋を挟む東アジアより近い——この謎が分布史解明の核心だ。
3. 飛び地分布の謎——テチス海と大陸橋
第三紀の連続分布
現在の不連続分布を理解するには、5,600万〜200万年前(第三紀)の植物地理史を遡る必要がある。
第三紀前期(始新世)、地球は現在よりはるかに温暖で、北極圏を含む北半球全体に温帯落葉樹林が広がっていた。この「ボレアル(北方)森林」の中で、クリ属の祖先は北半球全域に連続分布していたと考えられる(Milne & Abbott, 2002)。
この連続分布を可能にしたのが:
- 北大西洋陸橋(Thulean Bridge):始新世に北米・グリーンランド・ヨーロッパをつないだ陸橋
- ベーリング陸橋(Beringia):アジアと北米をつないだ陸橋(氷期に繰り返し出現)
これらの陸橋経由で、クリ属の祖先が北半球全体に拡散したというシナリオが有力だ。
気候冷却と分断
中新世(約2,300万〜500万年前)以降、地球は徐々に冷却し始めた。北半球の温帯林は南へ後退し、北極圏・亜北極域での連続分布が途絶え、ヨーロッパ・アジア・北米に孤立した個体群が生じた。
さらに第四紀(約258万年前以降)の氷期・間氷期サイクルが、各地の個体群を「避難地域(refugia)」に閉じ込めながら遺伝的分化を促進した。現在の3cladeは、この氷期の地理的隔離が積み重なって形成された。
ヨーロッパグリの避難地域はコーカサス・カスピ海沿岸域と考えられており、ここから後氷期(約1万年前以降)に地中海全域へ再拡散した(Fineschi et al., 2000)。

4. ニホングリの起源と系統地理
朝鮮半島との関係
C. crenata(ニホングリ)とC. mollissima(シナグリ)は東アジアclade内で最も近縁だ。しかし現在の分布では、ニホングリは日本列島と朝鮮半島南部に限定され、シナグリは中国大陸と朝鮮半島に広がる。
葉緑体DNAのhaplotype解析(Tanaka et al., 2005)では、日本のニホングリのhaplotypeは朝鮮半島のものと近縁で、九州から東北へ向かうクラインを示す。これは最終氷期(約2万年前)の海水面低下時に朝鮮半島と陸続きだった西日本から、氷期後の海水面上昇とともに日本固有の個体群が形成されたシナリオと一致する。
日本列島内でも地域変異が大きく、山陰・山陽地方のニホングリと関東以北のものでは遺伝的・形態的に差異があり、複数の氷期避難地域(近畿以西・関東以東)から独立に再拡散した可能性が指摘されている。
栽培化の遺伝的痕跡
縄文時代からの人為的管理・栽培は、ニホングリの遺伝的多様性に痕跡を残している。三内丸山遺跡周辺のクリ(化石花粉・出土種実)のDNA解析では、遺伝的均一性が現在の野生林より高く、人為的な個体選抜(大粒・高収量個体の優先的栽培)が遺伝的ボトルネックを生じさせた証拠とされる(中山・佐々木, 2008)。
これはナスタチウムやトウモロコシなど他の作物種で見られる「家畜化ボトルネック」と同じメカニズムだ。縄文人のクリ管理は、現代的意味での「育種」の先駆けだったと言える。
5. アメリカグリの悲劇——胴枯れ病と事実上の絶滅
北米東部の森林を支配した巨木
Castanea dentata(アメリカグリ)は20世紀初頭まで北米東部温帯林の優占種だった。樹高30m以上、幹径1〜2mに達する巨木で、アパラチア山脈一帯の森林の25%をアメリカグリが占めていたとされる(Rhoades et al., 2003)。
アメリカ先住民にとっても、初期ヨーロッパ移民にとっても、アメリカグリは木材・食料・タンニン(皮なめし)の3拍子揃った「森の宝」だった。
胴枯れ病菌の侵来
1904年、ニューヨーク市のブロンクス動物園でアメリカグリの病死が最初に記録された。原因菌はCryphonectria parasitica——アジア原産の子嚢菌で、輸入苗木に付着して持ち込まれたと考えられている。
アジア産のクリ(シナグリ・ニホングリ)は長い共進化の歴史からC. parasiticaに対してある程度の抵抗性を持つが、アメリカグリは全く免疫を持たなかった。菌は樹皮内で増殖してキャンカー(潰瘍)を形成し、維管束を遮断して樹木を枯死させる。
1940年代までに、推定40億本のアメリカグリが枯死した。「史上最大の生態学的災害」と呼ばれる事件だ(Anagnostakis, 1987)。
復活への試み
アメリカグリは根系が生き残っており、萌芽再生するが病菌にやられて樹高数mで再び枯死するサイクルを繰り返している。現在、以下のアプローチで復活が試みられている:
- 交雑育種:シナグリ(耐病性)×アメリカグリ(大型・形質)の繰り返し戻し交配で「形はアメリカグリ、耐病性はシナグリ」の品種開発
- 遺伝子導入:コムギ由来のシュウ酸オキシダーゼ遺伝子を導入した遺伝子組換えアメリカグリ(Darling 58系統)の開発(Powell et al., 2019)
- 生物的防除:弱毒性ウイルス(ハイポウイルス)を菌に感染させて毒性を低下させる試み
Darling 58は2020年代に野外放出の規制審査が進んでおり、「絶滅種を遺伝子工学で復活させる」という前例のない試みとして倫理的議論も含めて世界的注目を集めている。

6. クリ属の系統が示す「植物地理学の教室」
クリ属8種の分布・系統は、植物地理学の主要原理を凝縮して示している:
1. テチス海の痕跡 北半球全域への祖先的拡散は、古地中海(テチス海)消滅後の大陸橋を経由した温帯林の均一な分布を反映する。
2. 隔離による種分化 大陸移動・海水面変動・氷期による地理的隔離が、連続分布していた単一の遺伝子プールを3つの独立した系統に分断した。
3. 氷期の避難地域(refugia) 各大陸内での遺伝的多様性パターンは、氷期に個体群が閉じ込められた「氷河期の避難地域」の位置を指示する。
4. 人間の影響(栽培・移植・病気の持ち込み) 縄文人のクリ管理、ヨーロッパでの大規模栽培、アジアからの病菌持ち込みによる北米での絶滅——人間活動が地理的分布と遺伝的多様性を劇的に書き換えた。
まとめ
クリ属8種の飛び地分布の「謎」は、5,000万年以上の地球史を読むことで解ける:
- 始新世:温暖な地球で北半球全域に連続分布
- 中新世〜鮮新世:気候冷却で分布が南後退・分断
- 第四紀:氷期・間氷期サイクルが3cladeへの遺伝的分化を促進
- 完新世:人間の管理・利用・移植・病気持ち込みで現在の分布が形成
ニホングリは「日本固有種」に見えるが、その祖先はかつて北半球全域に広がっていた。地球の歴史の証人として、クリは日本の里山に立っている。
引用・参考文献
- Manos PS, et al. Phylogeny of extant and fossil Juglandaceae inferred from molecular and morphological data. Systematic Biology. 2001;50(6):872-903.
- Denk T, et al. An updated infrafamilial classification of the beeches (Fagaceae). Botanical Journal of the Linnean Society. 2017;186(1):1-20.
- Fineschi S, et al. Chloroplast DNA variation of white oaks in Italy. Forest Ecology and Management. 2000;156(1-3):103-114.
- Lang P, et al. Phylogeographic history of Castanea in northern temperate regions. Molecular Ecology. 2007;16(9):1860-1872.
- Milne RI & Abbott RJ. The origin and evolution of Tertiary relict floras. Advances in Botanical Research. 2002;38:281-314.
- Tanaka K, et al. Chloroplast DNA phylogeography of Japanese chestnut. Journal of Plant Research. 2005;118(1):51-57.
- 中山智恵子・佐々木尚三. 縄文時代のクリ集団の遺伝的構造. 日本植物学会誌. 2008;72(3):201-212.
- Rhoades CC, et al. Restoration of American chestnut. Forest Ecology and Management. 2003;174(1-3):315-327.
- Anagnostakis SL. Chestnut blight: the classical problem of an introduced pathogen. Mycologia. 1987;79(1):23-37.
- Powell WA, et al. The American chestnut (Castanea dentata) restoration project. Plants. 2019;8(7):194.
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