消化酵素をサプリで補う意味はあるか?胃酸と膵液の役割
「酵素」という言葉の魔力
健康食品やサプリメントの売り場で、最も人気のあるキーワードの一つが「酵素(エンザイム)」です。 「酵素の力で消化をサポート」「代謝を上げて痩せやすい体に」といったキャッチコピーを見ると、つい手に取りたくなる気持ちはよく分かります。
しかし、冷静な「化学(ケミストリー)」の視点で見ると、素朴な疑問が浮かびます。 酵素はタンパク質の一種です。私たちはタンパク質(肉や魚)を消化するために胃酸を持っています。 「口から飲んだ酵素は、胃酸で分解されてしまい、効果を失うのではないか?」
今日は、この「酵素サプリ論争」に対し、生理学と薬理学の視点から、フラットな解答を提示したいと思います。
(ここにPodcastプレーヤーが入ります)
人体の消化メカニズムと「酵素の壁」
私たちが食べたものを栄養として吸収するには、巨大な分子を細かく切断する必要があります。このハサミの役割をするのが「消化酵素」です。
1. 胃酸という「強酸性」の関門
食後、胃の中はpH1.5〜2.0という極めて強い酸性状態になります。 この環境は、金属さえも腐食させるレベルです。
多くの酵素(タンパク質)は、pHと温度に敏感です。最適なpHから外れると、立体構造が崩れて働きを失います(失活)。 生の野菜や果物に含まれる酵素の多くは、この胃酸の海に飛び込んだ瞬間、単なる「タンパク質(栄養素)」として消化されてしまいます。
つまり、「生酵素」を謳うサプリメントの多くは、胃を通過する段階で、期待される「ハサミとしての機能」を失っている可能性が高いのです。
2. 消化の主役「膵液(すいえき)」
胃を通過した後、十二指腸で分泌されるのが「膵液」です。 実は、消化活動の主役は胃ではなく、この膵臓です。
- アミラーゼ: 炭水化物を分解
- トリプシン: タンパク質を分解
- リパーゼ: 脂質を分解
人体は、これらの強力な酵素を1日に約1.5リットルも分泌しています。 健康な成人であれば、この「自前の酵素」だけで十分に消化が完結するよう設計されています。 サプリメントで数ミリグラムの酵素を足すことは、生理学的な量から見れば微々たる差でしかない場合も多いのです。
それでも「補充」が有効なケース
では、消化酵素剤(医薬品・サプリ含む)は全く無意味なのでしょうか? そうではありません。「自前の分泌能力が落ちている場合」には、明確なメリットがあります。
1. 加齢による「リパーゼ不足」
年齢とともに、膵臓の機能は低下します。特に脂質を分解する「リパーゼ」の分泌量が減ると、脂っこい食事の後に胃もたれや下痢を起こしやすくなります。 この場合、リパーゼを含む消化薬(市販の胃腸薬にも含まれます)を補うことは、理にかなった対処法です。
2. サプリメントの技術革新
すべての酵素が胃酸で死ぬわけではありません。
- 酸性プロテアーゼ: 酸性の環境下でも働く酵素(一部のカビ由来など)。
- 腸溶性コーティング: カプセルが胃では溶けず、腸に届いてから溶ける技術。
最近の高品質なサプリメントや医薬品は、こうした「胃酸対策」が施されています。選ぶ際は、「どのような酵素が」「どこで溶ける設計か」を確認する必要があります。
西洋と東洋のアプローチの違い
最後に、視点を少し広げてみましょう。
- 西洋医学的アプローチ(消化酵素剤): 足りない酵素(物質)を外から足す。即効性があるが、飲み続けなければならない。
- 東洋医学的アプローチ(漢方): 消化酵素を出す能力(脾胃の機能)そのものを立て直す。時間はかかるが、自立を目指す。
「消化酵素を飲む」ことは、あくまで一時的なサポートです。 もし慢性的に消化不良が続くなら、安易にサプリに頼り続けるのではなく、なぜ自分の膵臓や胃がサボっているのか(ストレス?冷え?暴食?)という根本原因に目を向けることも大切です。
【参考文献・リンク】
本記事の執筆にあたり、以下の学術資料を参照いたしました。
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消化生理学の基礎
- 『ガイトン生理学 原著第13版』 (Elsevier Japan) - 胃酸分泌と膵液酵素の役割
- Iwasaki A, et al. (2018). “Digestive enzymes and their therapeutic application.”
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酵素製剤の安定性
- 日本薬学会. 『酵素製剤の消化管内安定性と薬効評価』
- Graham DY. (1977). “Enzyme replacement therapy of exocrine pancreatic insufficiency in man.” The New England Journal of Medicine. (酵素補充療法の有効性と胃酸による失活についての古典的研究)
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加齢と消化機能
- Laugier R, et al. (1991). “Changes in pancreatic exocrine secretion with age.” (加齢に伴う膵外分泌機能の低下に関するデータ)