植物学 B011:イチョウの進化史
恐竜時代から変わらなかった理由——生きた化石の分子生物学

医スク学術体系 | ボタニカルサイエンス Chapter B011 Last updated: 2026-04-29

Topic 1:イチョウの分類学的孤立
イチョウ(Ginkgo biloba L.)は、植物界において極めて特異な分類学的地位を占める。現存する種子植物のうち、裸子植物門・イチョウ綱・イチョウ目・イチョウ科・イチョウ属に分類されるが、この科・目・綱のいずれにも他の現生種は存在しない。すなわち、イチョウは目(Order)レベルで単一種が存立する孤立した系統である。
最も近縁とされる現生植物はソテツ(Cycas)であるが、両者の共通祖先への分岐は約2億8000万年前(ペルム紀)にさかのぼる。
| 分類階級 | 名称 |
|---|---|
| 界 | 植物界 Plantae |
| 門 | 裸子植物門 Gymnospermae |
| 綱 | イチョウ綱 Ginkgoopsida |
| 目 | イチョウ目 Ginkgoales |
| 科 | イチョウ科 Ginkgoaceae |
| 属 | イチョウ属 Ginkgo |
| 種 | Ginkgo biloba |

Topic 2:化石記録が示す「形態的停止」
イチョウ目の化石は古生代ペルム紀後期(約2億7000万年前)から出現し、三畳紀・ジュラ紀にかけて繁栄した。ジュラ紀中期(約1億7000万年前)の地層から発見された化石種 Ginkgo huttonii の葉化石と、現生 Ginkgo biloba の葉形態は、肉眼的にほぼ区別がつかない。
この現象は「形態的停滞(morphological stasis)」と呼ばれ、環境への高度な適応が完成した結果、以後の選択圧による形態変化が最小化されたと解釈される。ただし形態が変わらなくてもゲノムレベルの変化は継続していることが、近年の全ゲノム解析で明らかになっている。
化石記録の主要な節点:
| 時代 | 年代 | 出来事 |
|---|---|---|
| ペルム紀後期 | 約2.7億年前 | イチョウ目最初の化石 |
| ジュラ紀中期 | 約1.7億年前 | 最大分布・多様化のピーク |
| 白亜紀末 | 約6600万年前 | 大量絶滅後も生存 |
| 第三紀〜第四紀 | 数百万年前 | 中国南部に分布が縮小 |
| 現代 | — | 中国で野生個体群が維持(浙江省天目山) |

Topic 3:大量絶滅を生き延びた要因
白亜紀末の小惑星衝突(K-Pg境界)により、恐竜を含む種の約75%が絶滅した。イチョウはこの事象を生き延びた数少ない系統の一つである。
生存要因として以下が挙げられている。
1. 広い環境耐性 イチョウは気温・土壌・水分条件の変動に対する許容範囲が広く、大気汚染・塩分・乾燥・踏みつけにも高い耐性を示す。これが現代の都市街路樹としての普及にも繋がっている(→ Chapter B019参照)。
2. 長寿命と高い再生能力 個体寿命は数百〜数千年に及び、損傷を受けた幹から不定芽(chichi)を形成して再生する能力を持つ。広島の原爆投下後、爆心地から1.1kmの距離で被爆したイチョウが翌春に萌芽したことは広く知られている。
3. 植食動物による捕食圧の低下 葉・種子・樹皮に含まれるギンコライド・ビロバライドなどのテルペノイド系化合物(→ Chapter B015・B016参照)が植食性昆虫・菌類に対する強力な忌避・毒性を示す。この化学防御が捕食圧を低下させたと考えられる。
4. 人間による保護(最近2000年) 中国・日本の寺社における植栽と文化的保護が、野生個体群の絶滅を防いだ可能性がある。Crane(2013)は、現在の野生個体群が栽培起源である可能性を指摘している。

Topic 4:イチョウの全ゲノム解析
2016年、Zhangら(GigaScience, 2016)はイチョウの全ゲノム解析結果を報告した。ゲノムサイズは約10.6Gb(ヒトの約3.5倍)であり、裸子植物最大級である。
主要な知見:
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ゲノムサイズ | 約10.6Gb |
| 推定遺伝子数 | 約41,840 |
| 反復配列の割合 | 約76.2%(LTRレトロトランスポゾンが多数) |
| WGD(全ゲノム重複)の痕跡 | 1億年前以降に検出されず |
| 特徴的な遺伝子群 | テルペノイド生合成・DNA修復・抗酸化酵素に関連する遺伝子の著しい拡張 |
反復配列の高い割合と全ゲノム重複の不在は、ゲノムが長期にわたる「保守的な安定」を維持してきたことを示唆する。一方、テルペノイド生合成遺伝子群の拡張は、化学防御機構が進化的に強化され続けてきたことを示す。形態は変わらずとも、化学的武器は継続的にアップデートされていた。

Topic 5:雌雄異株と種子散布の進化
イチョウは**雌雄異株(dioecious)**であり、雄株と雌株が分離している。裸子植物において雌雄異株は珍しくないが、イチョウの生殖には特異な点がある。
受粉の機構として、イチョウは花粉管を形成せず、精子が鞭毛運動によって自ら卵細胞へ遊泳する(鞭毛精子)。この特徴は種子植物としては極めて原始的であり、コケ類・シダ類と同様の受精様式を保持している。ソテツと並び、現存の種子植物中で鞭毛精子を持つのはこの2種のみである。
種子(銀杏)は外種皮の腐敗臭(酪酸・ヘプタン酸)によって哺乳類の忌避行動を誘発するが、大型の果実食動物(現在は絶滅した大型哺乳類やパンダなど)による摂食・散布を利用していた可能性がある。現在の「悪臭」は散布者の絶滅後も残存した機能的遺物(anachronism)と解釈される。

Topic 6:現生野生個体群と保全
長期間にわたり、イチョウの野生個体群は「存在しない」と考えられていた。栽培起源の個体が世界中に広まっているという見解が主流だった。
しかし浙江省天目山(Tian Mu Shan)の古木群については、遺伝子解析によって真の野生個体群である可能性が支持されている(Zhao et al., 2019, American Journal of Botany)。ただし栽培起源の遺伝子汚染を完全に排除することは難しく、現在も議論が続く。
IUCNレッドリストでは**危急種(Endangered)**に分類されており、野生個体群の保全は生物多様性の観点から重要である。逆説的に、街路樹としては地球上で数千万本が栽培されており、種として絶滅のリスクは極めて低い。
確認クイズ
- イチョウが「生きた化石」と呼ばれる根拠を、化石記録と現生種の形態的類似性から説明せよ。
- イチョウの精子が持つ、現存の種子植物では極めて珍しい特徴を答えよ。
- イチョウの全ゲノムサイズ(約何Gb)とヒトゲノムとの比較を答えよ。
- 銀杏(ぎんなん)の外種皮の腐敗臭が「機能的遺物(anachronism)」と解釈される理由を説明せよ。
- イチョウが大量絶滅を生き延びた要因として挙げられる生物学的特性を3つ答えよ。
参考文献
- Zhang Q, et al. The genome of Ginkgo biloba highlights the origin of extant gymnosperm plants. GigaScience. 2016;5(1):1-14.
- Crane PR. Ginkgo: The Tree That Time Forgot. Yale University Press. 2013.
- Zhao YP, et al. Resequencing 545 ginkgo genomes across the world reveals the evolutionary history of the living fossil. Nature Communications. 2019;10:4201.
- Zhou ZY. An overview of fossil Ginkgoales. Palaeoworld. 2009;18(1):1-22.
- Del Tredici P. Ginkgo and People: A Thousand Years of Interaction. Arnoldia. 1991;51(2):2-15.
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